風土記逸文とまとめられるテキストの中に、
という項目がみられる。
これは『萬葉緯』に引かれた「伊勢二所皇太神宮神名秘書」の個所らしい。
『萬葉緯』は今井似閑(じかん)による『萬葉集』の注釈書で今井は「風土記逸文」の蒐集でも知られる。「伊勢二所皇太神宮神名秘書」は度会行忠の著作で『風土記』岩波文庫によると、「五十鈴」のテキストは裏書きとして附載されていたと推察される。
内容は神宮に仕える八小男・八小女たちが五十鈴川に集って(セクシャルな意味で)逢い、いすすぎ・まじわったことにより五十鈴川と呼ぶようになったという呼称の縁起譚であろう。
「この日」がいつなのかいまいちよく分からない。八少女は神社に使えて神楽を舞う少女を指す一般名詞で伊勢神宮にそくしていえば物忌(ものいみ)・子良(こら)と呼ばれる少女のことだろう。物忌の中には少年もいたようで八少女という言葉に引っぱられて「八小男」と表現されたのだろう。「洒樹」は原文では「泗樹」に作る。泗には孔子の故郷の川の名前の意味があり、つくりの四から分岐して液体が流れる意味がある。洒は「あら・う」「すす・ぐ」と訓ずることもできるので「いすすぎ」の語義はともかく「すすぐ」の音を借りたものだろうと判断したのだろう。この「いすすぎ」という言葉は『古事記』の中巻のホトタタライススキヒメの段に登場する言葉で、話の内容が大きく変化しても「五十鈴」と「いすすぎ」という用語の共通性という意味で構造的な相似性がみうけられる。
東国的な嬥歌(かがい)を連想させる男女のセクシャルな集いが、サルタヒコとアメノウズメとも結びつきが強い「五十鈴」の語義解釈に使われることによって媛蹈鞴五十鈴媛のタタラという状態が古代的容貌として忘れられ、新たに組み替えられた中世的な記述のように感じる。
3年前に、この記述に気づいていたら、タヽラの伊勢での中世的展開が、もう少し、なめらかに広がりを持って語れたのかもしれない。
五十鈴というのは、風土記にいう、−−この日、八小男(やをとこ)・八小女(やをとめ)たちが、ここに連れだって逢い、洒樹(いすすぎ)接(まじわ)った。それによって名とした。(『風土記』平凡社ライブラリー 342頁)
という項目がみられる。
これは『萬葉緯』に引かれた「伊勢二所皇太神宮神名秘書」の個所らしい。
『萬葉緯』は今井似閑(じかん)による『萬葉集』の注釈書で今井は「風土記逸文」の蒐集でも知られる。「伊勢二所皇太神宮神名秘書」は度会行忠の著作で『風土記』岩波文庫によると、「五十鈴」のテキストは裏書きとして附載されていたと推察される。
内容は神宮に仕える八小男・八小女たちが五十鈴川に集って(セクシャルな意味で)逢い、いすすぎ・まじわったことにより五十鈴川と呼ぶようになったという呼称の縁起譚であろう。
「この日」がいつなのかいまいちよく分からない。八少女は神社に使えて神楽を舞う少女を指す一般名詞で伊勢神宮にそくしていえば物忌(ものいみ)・子良(こら)と呼ばれる少女のことだろう。物忌の中には少年もいたようで八少女という言葉に引っぱられて「八小男」と表現されたのだろう。「洒樹」は原文では「泗樹」に作る。泗には孔子の故郷の川の名前の意味があり、つくりの四から分岐して液体が流れる意味がある。洒は「あら・う」「すす・ぐ」と訓ずることもできるので「いすすぎ」の語義はともかく「すすぐ」の音を借りたものだろうと判断したのだろう。この「いすすぎ」という言葉は『古事記』の中巻のホトタタライススキヒメの段に登場する言葉で、話の内容が大きく変化しても「五十鈴」と「いすすぎ」という用語の共通性という意味で構造的な相似性がみうけられる。
東国的な嬥歌(かがい)を連想させる男女のセクシャルな集いが、サルタヒコとアメノウズメとも結びつきが強い「五十鈴」の語義解釈に使われることによって媛蹈鞴五十鈴媛のタタラという状態が古代的容貌として忘れられ、新たに組み替えられた中世的な記述のように感じる。
3年前に、この記述に気づいていたら、タヽラの伊勢での中世的展開が、もう少し、なめらかに広がりを持って語れたのかもしれない。
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by famlkaga
| 2019-11-21 19:13
| 『日本紀神名帳(抄)』